市川聖マリヤ教会
教会での出来事

2018年10月28日
教会報「聖鐘(チャイム)」巻頭言から(2018年11月)

「聖堂について」

牧師 司祭 ダビデ 渡部 明央

 日本聖公会では、「礼拝堂」という呼称も、「聖堂」という呼称もどちらも用いられています。

 祈祷書解説よると、礼拝堂は、「神の民の集会のための建物である(中略)、礼拝堂は神の言葉を聞き、神に祈り、感謝と賛美の聖奠、その他の共同体的礼拝を行う場所である」(『改訂増補 日本聖公会祈祷書解説』、103頁)とあります。

 一方、聖堂とは、礼拝堂を聖別したものです。聖別とは、神様に献げ、他と区別することですが、礼拝堂を聖別するとは、神の民の集会のために建てられた建物(礼拝堂)を、神様に献げ、自分たちの所有ではなく神様のものとして頂くことです。自分たちの栄光や誉れ、満足ではなく、神様のものとして、神様の栄光が満ち溢れる場として頂くために、建てた礼拝堂を聖別(献げる)するのです。

 日本聖公会では、「礼拝堂として使用する建物は、教区主教により聖別されなければならない。」(日本聖公会法規第168条1項)と定めています。建てた礼拝堂を、自分たちの所有にするのではなく、神様に献げなさい。神様が満ち溢れる場としなさいと、法規でもその心を表しているのです。

 またその心は、礼拝堂聖別式の祈りにも表されています。

 「常にわたしたちを守られる永遠の父よ、わたしたちとわたしたちが所有するすべてのものは主のものです。み言葉を聞き、み名をほめ、み赦しを求め、いやしのみ力にあずかり、また主の体と血によって養われるために礼拝堂を献げる今、わたしたちを受け入れてください。いつもここで主の民を導き、照らし、祝福してください。」

 「主イエス・キリストよ、この礼拝堂を主の臨在の宮、祈りの家としてください。ここで主を尋ね求めるとき、いつもわたしたちの近くにいてください。一人で来るときも、ほかの人びととともに来るときも、わたしたちを主のみもとに引き寄せてください。慰めと知恵を見出し、主に支えられ、強められ、喜びに満たされ、感謝をささげることができるようにしてください。主よ、わたしたちが清められ、主のご用に役立つため、ここで主と一つにされ、またほかの人びとと一つにされますように。」(礼拝堂聖別式 祈祷書498頁)

 また、礼拝堂聖別式の中で、「主の平和がこの家に入るすべての人々にありますように、父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」(祈祷書496頁)、と祈ります。私たちの栄光のためではなく、神様に献げられ、神様のものとされた聖堂。その中に入るすべての人びとに主の平和があるようにと、礼拝堂聖別式で祈ります。聖堂は、すべてにおいて神様が満ち溢れている場です。礼拝堂聖別の祈りにもありますように、人の思いを超え、私たちの心を励まし、慰め、支え導いてくださるお方が満ち溢れる場です。

 故に聖堂は、私たちがこの世で最も慰められ、安心していられる場です。神様の愛とみ手に包まれ、私たちがすべての重荷を下ろし、癒され、そしてまた新たな力を与えられる場が聖堂です。

 神の満ち溢れる聖堂に私たちが集められる時、私たちは神と向かい合います。慌ただしい日常生活の中では、私たちは神と向き合うことは容易ではありません。だからこそ、神の満ち溢れる聖堂で、静かに祈り、心と体を神に向けるのです。神のみ手に包まれ、沈黙の内に、自らの思い、悩みを神に献げるのです。

 神の民の集会のために建てられる礼拝堂。その礼拝堂を聖別することで、神の栄光を願います。聖堂は人の思いではなく、神が満ち溢れる場。聖堂は、神様の愛と恵、慰めと平和が満ち溢れる場であり、新しい命が育まれる場所なのです。

 「神の家に行こう」と言われて わたしの心は喜びにはずんだ(詩編122編1節 祈祷書訳)
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